東京農工大学科学博物館の歴史は非常に古く、明治19年(1886年)、農商務省局蚕病試験場の「参考品陳列場」がそのルーツになります。以来120年以上にわたり、設置母体の要請に応じて、様々な博物館活動を展開してまいりました。
当館が一般的な公立博物館と異なる点は、「大学附属の博物館」であるということです。そのため、所蔵する資料の展示のみならず、先端的な研究や教育の推進に加え、様々な社会貢献・生涯学習活動を通じて「社会と大学の架け橋」となるとなることが、当館の重要な使命であると考えます。この使命を達成するため、当館では、昭和55年(1980年)より博物館友の会を発足し、様々な学習ニーズに応える施設として特徴ある運営を行ってまいりました。本講演では、当館の歴史を概説すると共に、科学博物館友の会の活動についてご紹介します。
一般に博物館活動は、「資料の収集・整理・保管」「資料のアーカイブ化と公開」「資料の貸借」「展示・教育活動」「情報提供」「調査研究」など多岐に渡るが、国立天文台博物館はどのような活動を目指すのか? また、その経営と組織は? 各種サービスは?。構想への質問を交えながら、新博物館への期待を述べる。
平塚市博物館は地域の自然や郷土資料の収集と展示を中心とした地域博物館である。平塚では3年に一度程度、人文・自然分野に伍して天文の特別 展を実施してきた。天文分野は他の分野のような地域資料や実物資料がほとんどない、と言っていい。しかし数年に一度大きな天文現象があった り、宇宙探査のような派手な成果が上がることで注目度は高い。どのようなテーマで企画し、資料を展示し、観覧者の注目度はいかがであったか、 報告する。
2008年にアーカイブ室を立ち上げ、歴史的価値のある天文学に関わる資料の保存、整理、活用、公開 をミッションに活動を行って来た。1880年にドイツで製作されたレプソルド子午儀を発見したことから、この復元、整備、展示を行い子午儀資料館を発足させ、続いて役目を終えた自動光電子午環棟に国立天文台に残された観測機器、測定機器、資料等を集積し、天文機器資料館を発足させ、続いて塔望遠鏡を整備しこれも分光器を中心にした博物館状態にした。これらをサテライトとして配置した分散型博物館構想をもつにいたった。
国立天文台博物館(仮称)について、そのミッション、博物館組織、事業計画などを提案する。
これまで一部で研究活動や機関のアーカイブ資料の情報共有が試みられてきた。国立天文台では博物館でアーカイブ資料も取り扱われるかもしれない。博物館資料情報をアーカイブ資料情報と一体的に管理し共有することの可能性を検討する.
1955年2月1日に開台した仙台市天文台。東北大学との連携でユニークな業務をいろいろと展開してきた。
しかし、近年、施設の老朽化、光害による天体観測環境の悪化、地下鉄東西線の路線上等の理由により移転を余儀なくされた。しかし、予算上の問題により直営は望めなく、民間が建設から運営まで行えるPFI法による事業手法となった。
研究活動記録の文書資料 (Archives) は、機器や標本等の研究資料コレクション (Museum) とともに、科学研究の歴史資料の両輪として考えられる。そのれを博物館構想を補うものとしてどう連携できるか、文書資料の検討の例を交えてコメントをする。
核融合アーカイブ室では、伏見康治、早川幸男らの個人寄贈史料を中心に、核融合研究の歴史経緯をたどるための証拠資料を収集・整理・保存し、歴史分析の利用に供してきた。昨年4月より、「公文書管理法」が施行になり、研究所として歴史公文書をどのように管理・保存すべきか、という新たな課題が突きつけられることになった。核融合アーカイブ室のこれまでの活動と、その延長としての公文書管理法への対応と課題について、話題提供する。
東京大学大学院総合文化研究科・教養学部駒場博物館は、2004年11月開催の第一高等学校(一高)旧蔵資料を中心とする展示以来、展示会の定期化や資料収集・整理への注力などを本格化させた。管理下にある資料には、一高旧蔵の教育用理化学機器や掛図など、自然科学(の歴史)に関わりの深いものや、一高の教務関連文書などが含まれている。研究・教育機関附属の図書館・資料館の一例として、その活動の一端を紹介する。
岡山天体物理観測所が所有する運用が終了した天体観測機器や写真乾板・観測野帳などの保管状況を報告する。
情報センターアーカイブ室では旧図書庫に保管せれている古い天体写真乾板の整理を進めている。この中の、堂平観測所関係を担当している。リストアップされた数は約4,100枚で、観測所閉所時に保管していた1,300枚ほどと合わせて5,400枚をスキャナーで取り込み、ファイル化しているので、これを報告する。