佐藤勝彦 自然科学研究機構長 インタビュー(第1回) [2/3]
――先生ご自身はどちらのタイプでしょうか。
佐藤:どちらかというと「理論でこうなったらこうだ」というタイプですね(笑)。インフレーションもそうですけれど。「理論ではこういうことが言えるんですよ」と言うのが理論屋の仕事ですから。明らかな観測事実と矛盾することを言うことはできませんけれども、可能性のあることは言うことが大事ですよね。それを実証しよう、否定ようと思って観測や実験の人が頑張るんですから。理論屋が観測や実験の解析だけして、予言しなくなると学問は進歩しなくなりますよね。そういう意味では理論屋は出来るだけ予言した方がいいと、それは信念ですよ。
アインシュタインがちょっと謙虚だったことに、どちらかというと驚きます。彼くらい論理を詰めて相対性理論を作った人が、そこから導かれる結果を主張しないのが、僕らから見れば不思議なんですけれど。アインシュタインは彼の偉大な業績になるべき宇宙の膨張も信ぜず、またブラックホールも無いと信じていました。理論屋としては残念だったなと思いますけれどね。
――アインシュタイン以降も静止的な世界観は根強かったわけです。ほとんどの人がついに膨張宇宙を認めたのが50年前ということだと思うのですが。
佐藤:宇宙が膨張していることがハッブルにより観測的に示された後も、宇宙は時間的に変化しない定常状態にあるのだとする説は有力でした。 宇宙が膨張すると物質密度は低くなりますが、ちょうどその分だけ物質(水素原子)が真空のなかから生まれ、宇宙の密度は不変なのだと言う説です。「時間というのは永遠不変だし、宇宙も永遠不変に変わらない」というのはいかにも美しく見えますよね。ほとんどビッグバンと定常宇宙論支持者は半々だったと聞いております。それをはっきりとビッグバンに決定づけたのは、50年前のペンジアスとウィルソンの3K背景放射 *1の発見ですよね。私が大学院に入ったのがそれから4年くらい経った頃でしたので、ビッグバンを信じる人ばかりでした。
――激変期だったと思うのですが。当時の研究者はどういう雰囲気だったのでしょうか。
佐藤:基本的には学者のコミュニティはガラッと変わりました。ただ、定常宇宙論を支持する人はいなくなったわけではなくて、ウィクラマシンゲは宇宙背景放射をダストの放射で説明できると言い続けましたし、定常宇宙論を提唱していたホイルやその学生であったインドのジャイアント・ナーリカも、「定常宇宙論」を主張し続けましたよね。
決定的にダメになった理由は三つあります。まず第一は極めて遠方の宇宙、つまり昔と現在では銀河の性質、数が違っており宇宙は時間的に進化している事実が見えて来たこと、第二は宇宙背景放射でダイポールモードが見えてきたこと。地球や天の川銀河が宇宙背景放射の中を走っているから、前と後ろで温度が違ってきます。確かU2というスパイ偵察機に望遠鏡を取り付けて研究したんです。それによって、前の方向は温度が高くなって、後ろから電波が追いかけてくる方向ではちょっと低くなるのが見えたんです。この時点で「これはやはりダストでは難しいのではないか」ということになった。
第三には、宇宙背景放射が極めて高精度できれいなプランク分布 *2をしているということ。ダストから出る放射は決してそんな綺麗なプランク分布にはなりません。本当に3Kのプランク分布であることが分かったのは、COBE衛星のきわめて正確な測定です。宇宙背景放射が宇宙論的なものであるとダメ押しした成果で、ジョン・マザーはノーベル賞をもらいました。同時にノーベル賞をもらったジョージ・スムートは宇宙背景放射の中の凸凹を見つけて、新しさという意味では大きなインパクトがありました。ビッグバン宇宙を確固としたものにするのにマザーも大きな寄与をしているのは明らかです。
*1. 3K背景放射:絶対温度約3K(ケルビン)の熱放射に相当するマイクロ波が、宇宙の全方位から飛来している。これは、誕生当時高温だった宇宙を満たしていた電磁波が、宇宙の膨張に伴ってエネルギーを失った理論予想と一致しており、ビッグバン宇宙の重要な観測的根拠となった。
*2. プランク分布:ある温度を持つ物体が、全ての熱エネルギーを電磁波で放射する時、波長ごとの放射の強さが従う分布をプランク分布と言う。宇宙背景放射は、ほぼ精確に絶対温度約3度(2.7ケルビン)の熱放射である。